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お知らせ

第9回総合優勝校のご紹介、救急科専門医指定施設見学のご報告

BLS選手権

今年BLS選手権がコロナ流行による中止を経て復活し、私たちは創設の部活の目的であるBLS選手権出場を満たすためにも出場を決めました。BLS選手権とは1チーム医学生5人で構成され、そのチームで1次救命の技術や態度を競うものです。この選手権に琉球大学からは3年生3人(涌坪遼、町田宗丈、比屋定結子)、2年生2人(賀数りち、下地唄羽)、という臨床の経験が一切ないメンバーで挑みました。まず、九州予選会では、成人1人法スタンダード、成人1人法ハード、成人2人法スタンダードの3つの競技の合計点で順位が決まります。上位2校が全国大会への出場権を獲得できます。私たちはまず、九州地方予選大会に向けて、それぞれの競技−1人法スタンダード(涌坪)、1人法ハード(町田)、2人法スタンダード(賀数、下地、比屋定)−に分かれて練習を積みました。練習は、沖縄シミュレーションセンターの一室をお借りして試験や他の部活、バイトの合間に行っていて、個人練習をする時もあれば、時間を合わせてみんなで練習するときもありました。練習時にはメンバー出ない人も含めたサークルメンバーも含めて話し合い、琉球大学では、「点数を取るために練習するのではなく、実際に現場に即した練習をしよう」と決めました。これは、「BLS選手権は本番ではなく練習で、本番は実際に傷病者を救う時だ」という自分たちなりの意思表示でもありました。練習する際は、練習風景を動画に収め、その場でフィードバックを行い、反省点や改善点について考え話し合いました。また、琉球大学病院救急部の大内先生、宮川先生、元救命救急士の三浦さんから、現場での救命について細かいテクニックや注意すべきポイントをアドバイスしていただきました。このような練習を積み、九州地方予選大会へと出場しました。九州地方予選大会では、6校6チームが出場していました。当日は多くの人が集まっていたので少しチームメンバーは緊張した様子でした。メンバーは練習ができる部屋で時間ギリギリまで感覚を確かめていました。実際に競技をしている時にそれぞれの競技で大なり小なりハプニングや練習と異なることに戸惑いながら競技をしていました。反省点はそれぞれ感じながら、全競技が終わり、飛行機の時間もあったため時間を気にしながら結果を待っていました。結果は全国大会の切符を手に入れられたものの、2位という悔いの残るものとなってしまいました。全国大会では競技が変わり、成人2人法スタンダード、成人2人法ハード、乳児2人法の3競技になります。予選とは異なりすべての競技が2人法になるため、チーム全員のチームワークが必要な競技となります。次の全国大会に向けて、予選大会での結果を真摯に受け止め、再び沖縄シミュレーションセンターの一室をお借りして、試験やバイトなどの合間を縫いながら、予選の時よりもさらに精度を上げ、何度もフィードバックや話し合いを繰り返しました。全国大会では、18校18チームが進出していました。沖縄と東京の温度差は10度以上もあり、雨の中会場に向かっている時は、本当に寒く各々カイロを開け悴む手を温めながら会場へ向かいました。会場に入るとまず受付で誰がどの競技に参加するかがランダムで決められました−成人2人法スタンダード(下地、比屋定、町田)、成人2人法ハード(賀数、下地、比屋定)、乳児2人法(賀数、町田、涌坪)−。会場では九州地方予選大会と同様に少しの緊張と熱気を帯び自分たちの競技が始まるまでの時間をみんなでメトロノームを聞き、他の大学の競技風景を見ながら気を付けるべきところの共有をギリギリまで行っていました。競技中は予選大会と違い応援が許されていたため、応援団長の齊藤寛人がリズムを刻みながら、応援の声かけを行っていました。この声掛けには、競技者がみな救われかなり頼りにしていました。すべての競技が終わった時、メンバー全員がやり切ったという気持ちで緊張から解放されて頬が緩んでいました。いざ、結果発表が行われるとなると、メンバーに少し期待の色が見えました。ただ、最初の発表の成人スタンダード2人法で琉球大学が呼ばれなかったことで、少し諦めムードや焦りをメンバーから感じました。焦りというのは、お世話になった方々に持って帰るものが何もないのは流石に困るというものでした。しかし、成人ハード2人法の発表で、2位で琉球大学が呼ばれ、みんな驚き、喜んでいました。女性陣3人はすごい笑顔で前に出ていきいい笑顔で写真を撮らせてくれました。それを撮っている側も笑顔になりました。次に乳児2人法の発表では、2位で琉球大学が再び呼ばれました。これにも驚き、喜んでいました。これで、全員が何かしらの賞をもらって帰ることができると安心していました。写真も嬉しそうな良い笑顔で撮らせてくれました。最後に総合成績の発表になった時にもしかしたら2位か3位で呼ばれるかもしれないなーと少し期待しながら発表を聞いていたのですが2位まで呼ばれなかったので表彰台にのれなかったかーと少し諦めていました。そして、総合優勝の発表で琉球大学と発表されて、思わずみんな涙を流してしまうほど嬉しく、同時にビックリもしていて、リーダーの涌坪は腰を抜かしそうになっていました。それほどまでにみんなにとって嬉しい発表だったのです。前に出るときに、「泣くのは後にして今は最高の笑顔でいよう」と声をかけながら前に出ていきました。「闘魂」の象徴の赤いタオルを首に巻き賞状をもらい、最高の笑顔で写真に写りました。この結果はみんなにとってとても嬉しいことで、約半年にわたる練習が報われた瞬間であり、サークルを作った先輩の思いを叶えた瞬間でもありました。練習の時に評価をしていただいた琉球大学救急部の先生方やシミュレーターと部屋をお貸ししていただいた沖縄シミュレーションセンターの方々には感謝をしています。今後は、BLSだけではなくACLSの技術を磨いていきたいと考えています。
最後に日本救急医学会 学生・研修医部会運用特別委員会の皆様、BLS選手権大会の地方大会・決勝大会の運営にあたってくださった先生方やSMAQの学生の皆様、本当にありがとうございました。

【救急科専門医指定施設見学の感想】

見学施設・病院名/科(部): 済生会新潟県央基幹病院/救急科
見学日:2024年3月5日(火)

 私たちは、済生会新潟県央基幹病院という2024年3月1日に開院したばかりの病院を見学させていただきました。この病院は、燕労災病院と厚生連三条総合病院の2病院が統合再編された病院です。今回の見学では、この病院がどのようにしてできたのかをお聞きしたり、病院内を隈なく案内していただいた。病院の免震構造などの病院の設計や、病院内で利用している電子カルテなどのシステム面などについてまで見せていただきました。病院が始まったばかりのタイミング故に様々なトラブルが予想されており、それに対応しながらも診療を続けている医療従事者の方々の姿は、患者に真摯に向き合っている理想の姿のように感じました。小さなトラブルなどが無くなり、病院が真に稼働したときに、この病院は本当の意味で地域になくてはならない、病院となるように感じました。そのため、病院の遠泳が落ち着いた時に再び訪れて病院見学を申し込もうと私たちメンバー一同話していました。地域に密着し、ニーズに応え得るシステムを持ち、今までと違った1つの地域医療のモデルとなると思いました。この見学を通して、私たちは医者としてだけでなく、人としても成長していくことの大切さを学ぶことができました。これから、さらに精進していこうと思います。 最後に今回の見学を許可していただいた済生会新潟県央基幹病院様には、忙しい中にもかかわらず、受け入れていただいたこと深く感謝申し上げます。また、見学に際にしてBLS選手権の景品という形で支援いただいた日本救急医学会様に対して、貴重な機会を頂けたこと感謝申し上げます。