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『救護者保護に関わる法的整理(法制化)についての提言(日本賠償科学会・日本救急医学会)』

2023年12月2日、日本賠償科学会と日本救急医学会は、医療従事者による善意の救護に関する免責に向けて、『救護者保護に関わる法的整理(法制化)についての提言』をまとめました。

詳細につきましては、以下のサイトから閲覧ください。
救護者保護に関わる法的整理(法制化)についての提言 PDF
救護者保護に関わる法的整理(法制化)についての提言<抜粋版> PDF

令和5年12月2日

救護者保護に関わる法的整理(法制化)についての提言

日本賠償科学会
日本救急医学会

 2023年5月5日、3年4カ月の時を経て世界保健機関(WHO)が新型コロナウィルス感染症の緊急事態宣言の終了を発表した。このいわゆる「コロナ禍」は、医療面にとどまらず人々の生活様式に多大な影響を及ぼした。感染予防策の一つとして広く知られるようになった「ソーシャルディスタンス」という用語はそもそも人と人との物理的・身体的な距離を示したものだが、「コロナ禍」は本来の意味である「個々の人間と人間、あるいは集団と集団との間にみられる親近性または共感の程度」と説明される「社会的距離」までも遠く広がった。そのような中でも、人々は暗黙の内に「お互いに人同士」と認識することを本能的に共有(集団的間主観性)しており1)、人は既に社会性を含み共同体を担っている存在2)である。これらのことから、人々は社会において日常的に「連帯」していると言える。この「連帯」という視点で見れば、突然の傷病者に対する救護は社会の重要な要素である。
しかし、一般に他の市民よりも救護の知識と技能を持ち合わせている医療従事者であっても、「路上や航空機上などでの突然の傷病者」の救護は、医療資源に大きな制限があるなかで行わざるを得ない。「災害時の多数傷病者への対応」も同様である。圧倒的な医療需要に見合うだけの医療資源がなく、大きな制限があるなかで対応しなければならない。このような医療需給の不均衡の状況は、居合わせた医療従事者が実施した行為や判断に基づく結果が医療過誤に問われる可能性を生み、そのために「救護を積極的に行いにくい環境」を作り出していると考えられる。
実際に国内外のアンケート調査によって、救護をためらう割合や理由が示されている。看護師が突然の心停止に対する心肺蘇生の開始をためらう理由として、「技能についての自信のなさ」、「技術不足」、「心肺蘇生がかえって害を及ぼすかもしれないという認識による不安」、「感染不安」、「法的責任の回避」などが挙げられている3)4)
飛行中の機内の突然のドクターコールについての医師へのアンケート調査によれば、「ドクターコールに応ずる」が41.8%、「その時にならないとわからない」が49.2%、「応じない」が7.5%、「その他」が1.5%であった。ドクターコールに医師が応じないと思う理由は、「自分の専門領域の範囲か否かがわからない」が74.6%、「法的責任を問われたくない」が68.7%、「仕事中ではない」が43.3%、「搭載されている医療品がよくわからない」が21.0%、「その他(飲酒や睡眠不足)」が6.0% (重複回答)であった5)。他の同様の調査においても、航空機内などでドクターコールに応じると回答した医師の割合は34%に留まっている6)
医師以外の医療従事者を対象とした調査において、救急蘇生講習を受講している医療従事者が医師不在時に航空機内で医療援助を申し出ると回答した割合は、看護師10.4%、看護師以外(薬剤師、診療放射線技師、臨床検査技師、理学療法士、作業療法士、言語聴覚士、管理栄養士、臨床工学技士)で7.7%と報告されている7)
このように医療従事者であっても一律救護に積極的ではない中、実際に善意による救護の行為の結果、賠償請求を受けた事例が報告されている。自宅クリニック前の路上で発生した急病人に対してクリニックの医師が診察し、気道閉塞が疑われ呼吸停止をきたし、気管挿管が不可能と判断して緊急で気管切開を実施して気道を確保したが、処置に伴う血管損傷による大量出血で死亡した。その後、その医師は警察による業務上過失致死罪の容疑による取り調べを受けるとともに、家人から弁護士を介しての損害賠償請求を受けた8)。救護とは直接関連しないが、民法学界や社会の衆目を集めた「善意の行為の結果の賠償請求」の事例がある9)。隣人が預かった幼児がため池で溺死し、隣人の行為が問われた民事裁判(損害賠償請求訴訟)であり、判決は、幼児を預かるという契約は成立していないが、不法行為が成立するとして損害賠償を命じた(※)。
※この事例については、「預かってもらいながら隣人を訴えるとは何ごとか」など、種々の批判の嵐に遭い、原告は訴えを取り下げた。憲法が保障する裁判の権利を侵す恐れがあるとの趣旨から法務省が異例の談話を発表した事例である。
これらの報告のように善意に基づく行為であったにもかかわらず、結果によって警察の取り調べや賠償請求を受けた場合には、その心的ストレスは推し量れぬほど大きなものであり、その可能性を意識することによって、行為の実施にあたっての「社会的距離」はさらに広がり、救護の普及を妨げることは論をまたない。

このような善意に基づいて実施した行為に対する免責、すなわち救護者保護を目指した法制化に関する議論はこれまで折に触れ行われてきた。いわゆる日本版「善きサマリア人法」10)11)についてである。古くは1994年の内閣府や国交省の枠組みでの、交通事故への対応を想定した「その場に居合わせた市民による救護行為に対する保護」についての検討があるが、現行法の法文解釈で対応可能という行政判断によって法制化に至らなかった。1998年には交通事故の際の救急車到着前の救命処置の促進を掲げて、「救護を実践した者に対する補償」などについて議論されたが、同じく法制化に至らなかった。2001年にも、航空機内の急変患者発生事案に居合わせた医師が対応したことに端を発して法制化が議論の俎上に上がったが、結局実現していない。以降四半世紀近くにわたり、社会はおろか有識者や専門家の間においても本件について広くまた深く議論されてこなかった。この間わが国において、JR福知山線脱線事故(2005年)、秋葉原無差別殺傷事件(2008年)、東日本大震災(2011年)などなど、議論する機会が多くあった。それにもかかわらず、社会全体の共有を目指した学術領域横断的な検討はされてこなかった。

今般、あの関東大震災から100年の節目にあたる本年を迎え、日本賠償科学会ならびに日本救急医学会が「救護者保護に関わる合同検討委員会(以下本委員会)」を設置し、議論を重ねてきた。翻って法とは、人の尊厳を主軸とした「普遍的正義」を「規範」として示すものである12)。「規範」とは、人間社会集団におけるルールや慣習のひとつであり、裁判官が紛争解決のためにしたがうべき準則としてのいわゆる裁判規範と、一般社会における人間間の行為を規律する行為規範がある。当然ながら規範のすべてが法制化されているものではない。この救護者保護に関わる問題は、今までは現行法の解釈論を以て法的に整理されてきたが、民法の事務管理等の規定では十分に対応することができない。そこで、われわれ両学会は「救護者保護に関わる法制化」にあたり、上述したようにそもそも人々は日常的に「連帯」する点に着目して『法規範』を検討するべきと考える。
以上のことを踏まえて、われわれ両学会は最終的には「社会を構成する市民全体における相互の救護」に関わる法の整理の実現を見据えたうえで、まずは市民のうちで救護の知識と技能に長けた「医療従事者」による救護に着目し、本来はできるのに法的不安によって躊躇する医療従事者による「善意の救護に関する免責」について検討した。

以上より、我々両学会は以下について国に提言する。

1.最大の医療資源である医療従事者が緊急事態に積極的に対応でき、以て社会全体における救助活動促進につながるよう、法整備を求める。

2.次の理念の下に法整備にあたられたい。
(ア) 医療従事者は、日常的に社会において連帯する人々の突然の傷病や災難に対して、できる限りの診療にあたり、寄り添い、心の安寧の提供に努める。
(イ) 医療需給が不均衡な状況において、急病や災難による窮地の人々を救うために善意の行動をとった場合、できることを良識的かつ誠実に行った医療従事者に対して、行為の結果については責任を問わない。
提言の最後に、以下を文献より引用し結びとする。
「『危険が、助けを呼ぶ。苦痛の叫びが、救済を求める。法は、その結果から行為までの軌跡をたどるとき、こうした心の反応を無視することはしない。』
わたしたちの法は、目の前で誰かが苦痛の叫びをあげていたら、心の求めるままに助けの手をさしのべた者に、報いるものでなければならない」13)

引用文献

1) 木村敏:からだ・こころ・生命.講談社.2022年(第4刷).pp93-100.

2) 和辻哲郎: 人間の学としての倫理学.岩波書店.2022年7月5日(第14刷).pp9-52..

3) Makinena M、 et al: Healthcare professionals hesitate to perform CPR for fear of harming the patient. Resuscitation 2014:85;e181-e182.

4) 坂倉恵美子ほか: 看護婦の心肺蘇生法実施に対する意識調査 : 成人、子供および高齢者に対する実施意思とその関連要因.北海道大学医療技術短期大学部紀要2001:14;25-35.

5) 大塚祐司:航空機内での救急医療援助に関する医師の意識調査〜よきサマリア人の法は必要か?〜 宇宙航空環境医学 2004:41:57-78.

6) 埴岡健一: 「ドクターコール」に応じますか?-758人の意識調査と体験談-.日経メディカル 2007:5; 64-73.

7) 右田平八ほか: 航空機内での救急医療援助とコ・メディカルの意識調査からみた課題 九州救急医学雑誌 2005:5;15-19.

8) 平沼高明: 良きサマリア人法は必要か.医学の歩み 1994:170;953-955.

9) 隣人訴訟 津地判昭58・2・25判時1083号125頁、判タ495号64頁.

10) 平沼直人編:「善きサマリア人法」の多角的考察.日本賠償科学会第78 回研究会報告資料.2021年.

11 小賀野晶一:寛容の民法論と善きサマリア人法.白門春号.2022年.pp64-67.
渡辺洋三:法とは何か 新版.岩波新書.1998年.pp8-17.

12) 渡辺洋三:法とは何か 新版.岩波新書.1998年.pp8-17.

13) 橋本有生:意思決定が困難な人への医療提供における緊急事務管理の適用とその限界.民法の展開と構成.小賀野晶一先生古稀祝賀.成文堂.2023年、 pp149-166.